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災害はいつやってくるかわからない|東日本大震災から7年

つぶやき事件簿
この記事は約4分で読めます。

東日本大震災を忘れない。

3月11日。7年前に東日本大震災が起きた日です。
震源からだいぶ離れているのにこちらでも夕方揺れがあり、夜にはテレビには目を疑うような津波映像が映し出されたいたのを今でも思い出します。

以前にも少し書きましたが、震災3ヵ月後に東北を訪れた時の写真を少しだけアップしたいと思います。


岩手県大船渡
津波でぐにゃぐにゃにされた線路脇の自宅跡地を見に来たSさん。
住宅は完全に倒壊して瓦礫となってしまった。
思い出の品を手に「なんにもなくなっちゃったけど、日の丸立ててがんばろうと思って」と話してくれた。
当時は仮設住宅暮らしだということだったけど、また自分の家に戻れていればいいな。


岩手県陸前高田
津波にさらわれ更地となった場所に、大漁旗と黄色いハンカチが掲げられていて、被災した人たちの思いが伝わってきた。
後ろに見える住宅は無傷のように見えるが、屋根の上まで津波にのみ込まれている。


宮城県南三陸町
この南三陸町防災対策庁舎の屋上まで津波が飲み込み、アンテナポールにしがみつく人の映像を見た人も多いと思う。
津波の高さの予想は最大で6メートルだったため、当時、行政庁舎で勤務していた130名のうち、53名がこの3階建の防災庁舎の屋上に避難した。しかし津波は予想の高さを超え、庁舎の屋上床上約2メートルの高さまで押し寄せた。その水圧と流れにより、屋上に避難していた人々の多くが津波に流され、犠牲になった。生還したのは10名。
2031年まで震災遺構として宮城県が管理・保存することとなった。


宮城県気仙沼
大きな船が打ち上げられて、いたるところが押しつぶされた車や、流されてきた住宅の瓦礫でいっぱいだった。そこここに火災の跡もあって、辺りにはオイルの臭いが充満していた。
この船は第18共徳丸という大型漁船で、これを震災遺構として残すかどうか議論になったが2013年に解体されて今はもう見ることはできない。


宮城県石巻 旧門脇小学校
震災時、学校にいた224人の児童は裏山に逃げて助かったが、周辺では400人を超す住民が犠牲になった。海から約1キロ離れた場所にある旧門脇小は、校舎の1階は津波で被災し、2、3階は火災で延焼した。車やプロパンガスのボンベが津波で流され、がれきに引火したとみられる。
校舎は一部を震災遺構として保存する方針が2017年5月に決まった。


福島県南相馬
ここから先は立入禁止区域。区域内から出てきたワゴン車には除染作業員と思われる人たちが乗っていた。
今なお故郷に帰れない人がたくさんいる。
原子力発電って凄く便利なものかもしれないけど、とてつもなく恐ろしいものでもあるんだと、東日本大震災でそのことを深く思う。ただひたすらに恐ろしい。

今現在、福島県産の米や野菜は安全。

福島県産の米や野菜は、安全検査を受けて出荷されているので安全面では全く問題ない。
今日のフジテレビの番組でも、他県も含め福島の野菜各種を専門機関に持ち込んで独自検査した結果を映していたが、放射性物質は一切検出されなかった。
にもかかわらず、今なお続く風評被害で福島の農家は震災後も経済的にも大きなダメージを負っている。

★2018.3.18追記:
福島在住の雪国さんからコメントいただきまして、現在でも福島県内の小学校のほとんどが県内産の野菜は給食には使ってはいないという状態だそうです。
国や県がいくら安全と言っても、お子さんを持つお母さんたちから不安の声があるからだそうです。
安全だという数値が本当に確かなものなのか、ちゃんとした情報公開が必要ですね。

テレビの震災特別番組を見て思うこと。

今日の震災特別番組で「避難」についての特集があった。
今まで経験したことのない巨大津波だったことが最大の要因だとは思うけど、行政や企業の避難マニュアルに従って近くの指定避難所に避難したにもかかわらず、そこで命を落としてしまった人たちがあまりにも多いのが切ない。

6メートルの大津波警報が出ていたことから、高さ10メートルほどの2階屋上への避難を指示され、それに従った人たちが多かった。その時点では、もっと海岸線から遠くもっと高い場所へ逃げることが可能だったにもかかわらず。
見る見るうちに周囲を押し寄せる津波に囲まれ、どこにも逃げられなくなった時の恐怖は計り知れない。
私にはそれを想像することしかできないけど、その人たちはどんな思いで命を落としてしまったのか。

災害はいつどこにやってくるかわからない。

日本列島はいつどこで大地震が起きても不思議じゃないですよね。
東日本大震災の場合は、地震の揺れそのものよりも津波が大きな被害をもたらしました。
津波の場合は、とにかく早く海岸線から遠く、そして高い場所に逃げるのが最善ということになりますが、都市直下型だと建物の倒壊や火事など注意しなければいけない点が異なります。

普通に平和に暮らしている時は、明日も今日と同じように平和な日が訪れるだろうと思っているし、普通に暮らせることが幸せだということさえ忘れています。
もちろん行政で災害時避難マニュアルみたいなものを作っているけど、自然の猛威は人間の想定をはるかに超える場合があるんですよね、東日本大震災のように。

もし、大地震が来たら自分がどう行動するか。
自分の頭でちゃんと考え、災害時のシミュレーションをしておくのが大切ですね。

普通に暮らせているだけで、幸せなんだと思います。
日頃からついつい不平不満を口にしがちなことを、反省しました(^_^;)

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コメント

  1. こちらでも余波で漁港内で船がひっくり返る事故あったくらいでした。父親が漁に出ていて完全に影響なくなるまで港に戻れずに遥か沖に出て待機してました。次の震災まさに僕の地域で起こりそうなこと言われているので備えなければ。

    • Nori1022さん、こんばんは。
      東日本大震災、そちらまで影響があったんですね。
      地震の時は漁港に帰らずに沖にいるのが安全だというのは聞いた事があります。
      南海トラフ地震はこの先30年間での発生確率は70〜80%と言われているようですが、予測できないところも地震の恐さですよね。

  2. 本当に地震は怖いです。
    ボクが体験したのは都市直下型でしたが、東日本の被害を見ていると海岸沿いで働く者としては直下型の対策だけでは役に立たないことも多々あることを思い知らされます。
    先月、職場で大津波が来ることを想定しての避難訓練を行いましたが、日々そういった心構えだけでもしておかなければならないと思いますね。

    • kuniさん、こんばんは。
      kuniさんは阪神・淡路大震災を体験しているでしたか。あの時は映像しか見ていませんが、建造物の倒壊が凄かったですね。
      海岸線にある原子力発電所は震度8が来ても大丈夫だと国も電力会社も地震満々でしたが、津波による被害は全く想定してなかったんでしょうね。
      日頃の避難訓練や心構えはとても大切だと思います。

  3. 今日は1分の黙祷でした、被害に合われた方々に早く復帰される事を願ます
    昔被害地え当初は個人的にも援助金として送ってましたね喉元過ぎれば忘れてしまいます
    一次的な事で果して今回も1分間の黙祷をしてるか疑問です。
    私達「神社関係者」で援助金として5年続きましたがそれを批判するバカが居ました、↑

    • 釣りお爺さん、こんばんは。
      1分間鳴り響くサイレン、心が締め付けられますね。
      どんなに大きな災害も時の流れとともに印象が薄れてきますよね。東日本大震災で得た教訓はいつまでも忘れないようにしたいですね。
      ボランティアや金銭支援を偽善などと言って批判する人もいますが、例え焼け石に水だとしても、その行動で救われる人が必ずいると思います。

  4. おはようございます。
    改めて大震災を思い出した日でした。
    今回の報道では出てきませんでしたが、酔仙酒造の大看板のついた建屋が流される報道映像は今も鮮明に思い出されます。
    天災であれ人災であれ、歴史は破壊と再建の繰り返しですが、反省と共に、鎮魂になるような力強い再建話の割合をモット増やして欲しかった報道特集でした。

    • マンボウさん、こんばんは。
      報道には政治とはまた違った力がありますよね。
      確かに、復興・再建はあまりクローズアップされなかった印象です。
      東日本大震災は正に未曾有の大災害で多くの命が失われとても悲しい出来事でしたが、残された人たちはこの災害から学ぶことや教訓にできることがたくさんあるんだと思います。

  5. こんにちは。
    大変な災害でしたね、中でも原発事故による被害は人間によって起きてしまった事故です、核の使用はされなくても原発を狙ったミサイルが発射されれば核と同じ被害が起きてしまう事を肝に銘じるべきですね、この日、今までワープロ代わりに使っていたパソコンを初めてインターネットに接続し70の手習いを始めた時でしたのでしっかり覚えていますね。

    • ハックル70さん、こんばんは。
      正に未曾有の災害でしたね。
      確かに、核弾頭を搭載していなくても、電子力発電所を普通のミサイルで狙えば同じ事になりますよね。お隣の国が焦臭いので恐ろしいです。
      そうでしたか、ブログを始められた時でしたか。私だったら70歳から始めようと思ったかどうか。その勉強意欲に頭が下がります。

  6. こんばんは。
    あの日は大阪でもとてもユックリ、大きな振れ幅で揺れました。
    小学生の頃、関東大震災を社会の授業で習った時は遥か昔だから被害が大きかったんだと、単なる昔話に思えました。
    そして成人してから阪神・淡路を経験し、今回の東日本。
    実質の被害を受けなかった私でも時計の針を戻せたらなと思ってしまいます。

    • 七流釣師さん、こんばんは。
      そうですか、大阪も結構揺れたんですね。こちらもあまり経験のない不気味な揺れ方をしました。
      確かに関東大震災はずーっと昔の話で他人事でしたが、阪神・淡路、東日本大震災のことを考えると、大地震の可能性は今現在も常にあるということなんですよね。
      後になって「もっとこうしていれば・・・」と思うことも多いですが、近く起こるであろう次の大地震に教訓を生かしたいですね。

  7. リコテプラさん、初めまして。
    私も釣りと山菜取りとキノコ採りが大好きで、数年前から時々拝見させていただいています。
    リコテプラさんの実践にもとづく丁寧な記事で「!」と思ってコメントしようかなと思っていましたが、私ごときが書いたところで皆さんのコメントのほうが遥かに上をいっていますのでしませんでした。
    リコテプラさんの丁寧で具体的な記事への感謝の気持ちを持っています。
    でも、今回の記事を読んでいて「?」と感じたことがありましてコメントさせていただきます。
    私は六十数年福島県に住んでいます。現在でも県内の小学校のほとんどが県内産の野菜は給食には使ってはいないのです。国や県が「放射能汚染はないから大丈夫です」といくら声を大きくして伝えても、地元に住んでいて子育てしているお母さんたちは「本当なの?」と疑問を呈しているから、地元教育委員会も母親たちの声を無視はできないのが現状です。(公表されているデータ上は「検出無し」ですが)
    最近の出来事では「森友問題」で国(財務省)の嘘が明らかになったように、報道(テレビ、新聞)を鵜呑みに信ずることは出来ないと感じます。
    「風評被害」ではなく、まだまだ「実害」であることを実感しています。
    リコテプラさん、すみません最初のコメントがこのようなものでm(__)m
    次は、渓流解禁でしょうか。楽しみに読ませていただきます。

    • 雪国さん、初めまして。
      コメントありがとうございます。
      実際に福島に住んでいらっしゃる方からのコメント、うれしく思います。
      釣りと山菜とキノコ、趣味が同じですね。

      ほとんどの小学校給食で福島県産の野菜が使われてないとは知りませんでした。
      その件は、事実として記事本文に追記させていただきました。

      お母さんたちが不安だと思う気持ちはよくわかります。
      今でも放射能に汚染された地域があることは確かですが、農家が出荷している野菜について風評被害ではなく実害があるということは、福島の野菜は今もなお危険だとお考えだということでしょうか。

      確かに国や県の発表は鵜呑みにはできないですよね。何と言っても、これまで原発は「絶対に安全だ」と言い続けてきたわけですし。
      私自身、科学的検査の数値を現地で見ているわけではないので、報道を信じるしかないのですが、その報道がねじ曲げられたものだとすると大問題ですね。
      もし、本当は安全ではないのに安全だと報道しているとしたら、体制に忖度しない科学者、ジャーナリストはいないのかと悲しくなります。

      福島県の米や野菜、魚や肉、それらに関する正確な科学データを情報公開して欲しいですね。
      規模は違いますが、東京の豊洲市場の問題と重なる部分があるかもしれません。あれも都がちゃんと情報を公開しなかったために、問題解決への道のりが長くなってしまったと思います。

      この度は、貴重なコメントありがとうございました。
      これからもお気軽にコメントして下さい。

      あ、ひとつだけ訂正させて下さい。
      私のハンドルネームは「リコテプラ」ではなくて「リコプテラ」です。
      よく間違えられるのでお気になさらず。そもそも名前がヘンテコですみません(苦笑)

      今後ともよろしくお願いいたします。